南金津村
みなみかなづむら
[現在地名]金津町南金津・六日・古
竹田川(金津川)南岸の集落で、北陸街道沿いの六日町、北陸街道から分れて三国湊(現三国町)に向かう道路沿いの古町からなる。南金津の名称は慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「南金津溝江」とみえる。「大乗院寺社雑事記」文明一二年(一四八〇)八月三日条の挿図では鳴鹿川(金津川をさすか)の南側一帯が溝江郷になっており、当地は興福寺領河口庄内溝江郷に属していた。朝倉家家臣溝江長逸の居館跡が西南にあり、同書同年七月一二日条に「朝倉孫衛門持分城金津城・兵庫城・新庄城没落、則自甲斐方焼払之」とある金津城も当地にあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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