日本歴史地名大系 「卜味金仏町」の解説
卜味金仏町
ぼくみかなぶつちよう
南北に通る
平安京の条坊では左京六条二坊三保一二町東側及び同一三町西側、平安中期以降は六条油小路北にあたる。院政期、当町北側付近には上西門院(統子内親王)の御所があった。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に、北側が「小金仏丁」、南側が「卜味丁」と記される。「卜味丁」は以後変化はないが、「小金仏丁」は宝永二年(一七〇五)洛中洛外絵図あたりから「下金仏丁」と変わる。一方、寛永一八年以前平安城町並図には「うちほりノ丁」とあり、町鑑や版行絵図類でも、寛文五年(一六六五)刊「京雀」から宝暦四年(一七五四)再版名所手引京図鑑綱目あたりまでこの異称がみえるが、同一二年刊「京町鑑」では「下金仏町 北半町也」「卜味町 南半町也」となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報