中堂寺(読み)ちゆうどうじ

日本歴史地名大系 「中堂寺」の解説

中堂寺
ちゆうどうじ

[現在地名]下京区中堂寺西寺町

松原まつばら通に北面して位置する。真如山と号し、浄土宗西山禅林寺派。本尊阿弥陀如来。「京都府地誌」によれば、長和四年(一〇一五)に天台宗僧円仁により開かれたという。「拾遺都名所図会」も円仁の開基と記す(円仁は貞観六年没)。寺伝は平安時代に比叡山延暦寺横川よかわ中堂の別院として開かれたというから、横川中堂の基を定めた円仁と結び付けられたものか。

中堂寺
ちゆうどうじ

[現在地名]婦中町安田

前田まえだにあり、根本山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。当寺の開基乗法は、本願寺八世蓮如が越前吉崎よしさき(現福井県金津町)滞留時に教化を受け、越前疋田ひきた(現同県敦賀市)に草庵を結んだが、のちに越中へ下り婦負郡金屋かなや(現富山市)白鳥しらとり城主の神保氏の所縁により安田やすだ村に一宇を建立したという(「中堂寺由緒書」寺蔵)。大小一揆以降は和田本覚わだほんがく寺の与力下にある(「超勝寺下分并本覚寺下分書上」本願寺文書)。また永禄七年(一五六四)五月二日の本願寺番銭帳(長光寺文書)では三〇〇文を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報