醒泉学区
せいせんがつく
およそ北は松原通、南は上魚棚通(現六条通)、東は西洞院通、西は堀川通にわたる旧学区。江戸時代は下京の古町である下古京川西一六町組とその新シ町、及び川西九町組とその新シ町など。名称は明治二年(一八六九)の下大組一三番組から、下京一七区(明治五年)、下京一七組(同一二年)、下京第一七学区(同二五年)を経て昭和四年(一九二九)醒泉学区。同一七年に学区制が廃され、翌年には隣接する尚徳学区の国民学校が高等科になったため、その多くを編入。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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