日本歴史地名大系 「厚木村」の解説 厚木村あつぎむら 神奈川県:厚木市厚木村[現在地名]厚木市寿(ことぶき)町一―三丁目・栄(さかえ)町一―二丁目・中(なか)町一―四丁目・元(もと)町・旭(あさひ)町一―五丁目・幸(さいわい)町・厚木町・東(ひがし)町・泉(いずみ)町・水引(みずひき)一―二丁目・田村(たむら)町・松枝(まつえ)一―二丁目・厚木東は相模川が流れ、西は恩名(おんな)村・戸室(とむろ)村、南は大住(おおすみ)郡上岡田(かみおかた)村に接する。交通要衝の地で、矢倉沢(やぐらさわ)往還は高座(こうざ)郡河原口(かわらぐち)村(現海老名市)より渡船で渡り、南方大住郡酒井(さかい)村へ抜ける。八王子道は南方より入り北方金田(かねだ)村、甲州道は北西妻田(つまだ)村、丹沢(たんざわ)道は西方林(はやし)村へ通じる。「和名抄」の郷名に舩田(ふなきた)とあるが、村内船喜田(ふなきた)明神社はその遺名で、当地は古代舩田郷に属したと推測される。建武五年(一三三八)閏七月一三日の夢窓疎石書状(県史三)に「崇寿寺領相州厚木郷事」、観応二年(一三五一)七月二二日の関東管領上杉憲顕奉書(県史三)に「相模国毛利庄厚木郷」とみえる。天正一六年(一五八八)九月一四日の北条家朱印状(同書)では田名(たな)(現相模原市)、厚木、田(た)村(現平塚市)の筏士中が、北条氏政の作事の材木を須賀(すか)(現平塚市)まで運ぶように命じられている。小田原衆所領役帳に鈴木大学助「百貫文 中郡厚木之内」とある。近世は初め旗本領、次いで幕府・旗本領の相給。寛永期(一六二四―四四)以後旗本領と備後福山藩の三給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by