原古賀町(読み)はらこがまち

日本歴史地名大系 「原古賀町」の解説

原古賀町
はらこがまち

[現在地名]久留米市本町ほんまち

柳川往還沿いの町で、北は池町いけまち川を境に三本松さんぼんまつ町とつながる。西は庄島しようじま小路と接し、東は当町二丁目で小頭町こがしらまち通を分岐する。ハランコガともいう。地名中世の春野長者屋敷に由来するという(柏葉抄録)。明暦二年(一六五六)に「苧漕川」とみえるのは当町の異称(古代日記書抜)近代にはこれにちなみ苧扱川おこんがわ町と改称した。寛文七年(一六六七)「原古賀町」に浄土宗無量むりよう寺が再興され(寛文十年寺社開基)、同九年当町三丁目より南に漸次家が建ったという(石原家記)。延宝城下図では「ハルノコカ町五丁目」までが記され、五丁目南端に番所が置かれている。元禄九年(一六九六)の白石火事では三丁目付近の西福さいふく寺門前まで類焼(米府紀事略)

原古賀町
はらこがまち

[現在地名]久留米市原古賀町・本町ほんまち小頭町こがしらまち

原古賀六―七丁目の東にある武家地三潴みづま大隈おおくま村原古賀名の地で、上級家臣の別荘が置かれ、また扶持人が多く居住した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報