日本歴史地名大系 「啓忘録抜萃」の解説
啓忘録抜萃
けいぼうろくばつすい
一冊 本庄市正(加兵衛)著
成立 一八世紀初頭
写本 久留米文化財収蔵館
解説 「啓忘録 本庄市正覚書」の抜粋と考えられるが、覚書のほうは残されていない。原書の七五項目のうち三〇項目を削除し、二項目を略記する。田中高・山口高・今高、枡の種類や大きさ、各種運上、領内大村・大川淵名、久留米と郡中の詳細な町数、領内出産品、宝永三年の身分ごとの人口、同五年の宗派ごとの寺院・僧侶数、社人・山伏数なども書きとめている。「惣郡土免撫畝高当」に記す正徳の税制改革以前の土免制下の全郡に関する本地・蔵入地・明所・給地・出目方・開方およびそれらの平均税率・畠田増免、本地・出目・開の田方・畠方・居屋敷の物成斗代をはじめ、井上大和守提出控である「元禄十四巳三月被相改之 筑後国変地其外相改目録」に記す元禄国絵図作製時の変更点などは貴重な資料で、年間の農作業や稲の種類など農業関係記事にも興味深いものが多い。なお本庄市正は元禄七年惣奉行、正徳元年郡方裁判役となり、家老脇並の格式まで昇進し、禄高も七〇〇石から二千石に加増された。農政に通じ正徳税制改革の初期に指導的役割を果したが、同二年に死去。嫡男の主計は同改革の推進者でこれを成功させたが、享保一三年の夏物成改革に失敗、享保一揆を引起した責めを負って死刑となり、幼い息子も処刑され本庄家は断絶した。
活字本 「久留米市史」第八卷・資料編近世I
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報