原明古窯跡
はらあけこようあと
西有田町の南端、標高三一九メートルの幕ノ頭より西の尾根伝いに長崎県との境界線が走る。そこの字名が境谷で、その北隣に本谷があり、谷頭に本谷池が築かれている。その南側の丘陵上に通称窯ノ辻とよばれる六基からなる古窯跡群があり、溜池堤防直下が「高麗屋敷」と伝承されている。
昭和四九年(一九七四)地表に散乱していた陶片が発見され、調査を実施(西有田町教育委員会の調査概報がある)。島根大学の熱残留磁気測定による推定年代はA・B窯一六一〇(±五〇)年、C・D窯一六〇〇(±五〇)年で、一六世紀末―一七世紀初めと推定された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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