日本歴史地名大系 「西松浦郡」の解説 西松浦郡にしまつうらぐん 面積:六五・四二平方キロ西有田町(にしありたちよう)・有田町(ありたまち)県西部の有田川流域にあり、伊万里市の南部にあたる。西は国見(くにみ)トンネル・栗(くり)ノ木(き)峠・オサエ越が長崎県佐世保市と、南は岩(いわ)峠が長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)郡波佐見(はさみ)町と境し、東は杵島(きしま)郡山内町と接する。有田川は広瀬(ひろせ)川・浄源寺(じようげんじ)川・山田(やまんだ)川などの支流を合わせて北流し伊万里湾に注ぐ。「肥前風土記」には現在の東松浦郡・唐津市や杵島郡・武雄市域までは記載されているが、その西部一帯の西松浦郡・伊万里市域の記事を欠く。「和名抄」も同様である。〔原始・古代〕伊万里市を含む有田川流域やその周辺には、先土器から縄文への編年の組立てを可能にする白蛇(しろへび)山岩陰遺跡、縄文早期の坂の下(さかのした)遺跡、高岸(たかぎし)石棺群や弥生式甕棺の出土地、五世紀中頃と称される杢路寺(もくろじ)古墳、六世紀中期とされる夏崎(なつざき)円墳、六世紀後半と目される小島(こじま)古墳、同時代の銭亀(ぜにがめ)古墳などがある。〔中世〕伊万里市東山代(ひがしやましろ)町川内野の山(かわちののやま)ン寺(てら)には、松浦党とよばれる武士集団の創成期の居館と推定される石組などの遺構がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報