原歌村(読み)はらうたむら

日本歴史地名大系 「原歌村」の解説

原歌村
はらうたむら

[現在地名]島牧郡島牧村字原歌町・字栄浜さかえはま・字持田もつた瀬棚せたな瀬棚町字島歌しまうた

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同三九年(一九〇六)まで存続した村。千走ちわせ村の西にあり、東をフモンナイ川、西をオタダス川が流れる。明治四年の「春日紀行」に「捕鯨ノ候多ク他州ノ人民蜂屯シ部落溢ス」と記される。同六年の「後志国地誌提要」に原歌村とみえ、戸数三六(うち寺一)・人口一九五。明治五年の中遣船一・三半船一・保津船二六・磯船四七(島牧郡船調書上)、同九年の漁家数三二、建網六投・刺網五〇六放、漁夫一九四(以上「島牧村史」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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