双里村(読み)そうりむら

日本歴史地名大系 「双里村」の解説

双里村
そうりむら

[現在地名]石川町双里

佐宇里・草里とも記す。南西流から西流へ流れを変える今出いまで川流域の平地と丘陵地に位置し、東部で同川に飛鳥あすか川が合流する。西の高田たかだ町から御斎所ごさいしよ街道が村内を抜け、南東の枝郷形見かたみ村に至る。北に枝郷北山きたやま村がある。地内に三基の板碑が所在し、字川入かわいり中世蕪木かぶき館跡がある。建武四年(一三三七)正月一六日の伊賀盛光代麻続盛清軍忠状(飯野八幡宮文書)によると、この前日に石川一族を主力とする北朝方が菊田きくた滝尻たきじり(現いわき市)に拠る小山駿河権守を攻めているが、この合戦の日大将として石河草里四郎次郎の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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