取手村(読み)とりでむら

日本歴史地名大系 「取手村」の解説

取手村
とりでむら

[現在地名]取手市取手一―三丁目など

利根川北岸に所在。西は大鹿おおしか村。戦国時代の武将大鹿太郎左衛門の砦から地名が起こったといわれる(利根川図志)。江戸時代には水戸街道の宿場、取手宿として栄え、取手河岸も置かれ、本陣染野家は今も残っている。

江戸初期は大鹿村と一体で、大鹿取手村と称し、寛永一七年(一六四〇)の大鹿取手村辰ノ物成割付、慶安四年(一六五一)の大鹿取手村卯御物成可納割付之事(ともに染野修文書)によると村高七〇八・七八石。「取手市史」によれば寛永一九年から下総佐倉藩領、慶安四年から佐倉藩主堀田正盛の三男正俊(のち古河藩主)領、寛文八年(一六六八)から酒井忠挙領。延宝二年(一六七四)に忠挙の検地により村高を折半して大鹿村と分れ、天和二年(一六八二)に下総関宿藩領、宝永二年(一七〇五)天領、翌年から旗本建部氏の知行地となり明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報