口原村
くちのはらむら
[現在地名]頴田町口原
東は庄内川と鹿毛馬川の合流点を挟んで勢田村、西は遠賀川を経て穂波郡目尾村(現飯塚市)・鞍手郡小竹村(現小竹町)。南部に当村のうちの石丸村がある(元禄国絵図など)。永仁元年(一二九三)一一月日付粥田庄預所用米目録案(金剛三昧院文書/鎌倉遺文二四)に「口原」とあり、預所用米として田地一町八反余から計一三石余の分米・受分が徴収されている。粥田庄は紀州高野山金剛三昧院を領家としていた。当地の彦穂神社の正中元年(一三二四)一二月付旧神体台板銘に「大宮司幸眼」とあり(嘉穂郡誌)、境内にあった観音堂の台座銘に「当寺開基幸眼僧都者元天照宮々司坊也」とある(同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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