口田沢村(読み)くちたざわむら

日本歴史地名大系 「口田沢村」の解説

口田沢村
くちたざわむら

[現在地名]米沢市口田沢

成島なるしま村の南西に位置し、小樽こたる川沿岸平地とその後背山地に立地。室町時代には長井氏部将新田遠江守が当地の田沢城に拠って会津街道を守備していたといわれる。近世初期には田沢村のうちと推定される。寛永八年分限帳によれば立山たてやま(館山)村・入田沢いりたざわ村が分離しており、残る田沢村に給地のある家臣は侍衆香坂四郎兵衛ほか二名。字増子他屋ますこたやは近世初期の代官増子氏が開拓した地である。正保郷帳によれば田八三〇石余・畑四二二石余。元文四年(一七三九)の「山林台帳」によれば天明神てんみようじん林・なが(以上松の留山)など五ヵ所の山林がある。簗沢やなざわ村・入田沢村などとともに米沢城下へ薪を供給し、小樽川・鬼面おもの川から木場きば川へ流して木場町で水揚げした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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