口高村(読み)くちだかむら

日本歴史地名大系 「口高村」の解説

口高村
くちだかむら

[現在地名]田主丸町豊城とよき

蜷川にながわ村の西に位置する。幕末のものとみられる村絵図(中村家蔵)には日田街道南方に当村分自在丸じざいまる・いか土などがあり、街道に沿う雲雀津留ひばりつる溝筋には口高村作橋が描かれる。正保四年(一六四七)の大小道之帳によると、本郷ほんごう(現大刀洗町)から「口高村西之大道」まで一里三三町。本高は五三石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一三〇石・役高一三〇石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦三石九斗余・小麦一石九斗余・菜種六斗余(「本地夏物成帳」中村家文書)。寛政元年(一七八九)の撫斗代八斗一升、人数五九、馬七(上三郡取調手鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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