古川郷
ふるかわごう
現古川町の中南西部を占めていた中・近世の郷名で、「和名抄」の深河郷に由来すると思われる。「荘厳講記録」(長滝寺蔵)応永一三年(一四〇六)条に古河郷とみえ、大飢饉のさなかの五月一〇日に長滝寺(現郡上郡白鳥町)の使者が入部し、米七升ずつ、大豆一斗を国人より徴収している。また「教言卿記」同年四月五日条に、「古川庄被成御料所」とあり、当郷が幕府料所となったことが知られる。その後これら飛騨の幕府料所は守護佐々木氏に預けおかれたらしく、応永一八年と思われる一〇月二七日の佐々木道通書状(国会図書館蔵)によれば、道通(京極高光)は古川郷のうち快与名を尼子高久に与えている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 