上町村(読み)かみまちむら

日本歴史地名大系 「上町村」の解説

上町村
かみまちむら

[現在地名]西尾市上町

市の北に位置し、矢作川の左岸にある。碧海へきかい台地上に集落があり、北は矢作川をもって米津よねづ村と境し、東は伊藤いとう村、南は下町しもまち村、西は小間おま村に隣する。

北部の矢作川沿いの台地にある八王子はちおうじ貝塚(縄文中期・晩期)は複合遺跡で、市内で最も古い集落の一つ。「西尾町史」に「故老伝に云う、西尾の内に昔竹崎あり、今の西之町村是れ也と(中略)。西之町とは上町下町辺の名称にして、西条の西部に位せるより、かく名付し」とある。慶長九年(一六〇四)の「米津清右衛門検地高」には上西かみにしノ町と記されている。


上町村
かみまちむら

[現在地名]山崎町宇野うの

揖保いぼ川の支流伊沢いさわ川の中流左岸にあり、南東は中町村。「かんまち」ともいう。背後にある長水ちようずい(五八四・八メートル)山頂の長水城の大手にあたり、武士や町人たちが居住して町場を形成していたのが町の地名の由来という。現存する小字として町裏まちうら町屋敷まちやしき天子てんし天地てんじ殿町とのまちかまえがあり、長水城の城下町がこの地にあったことをうかがわせる。


上町村
かんまちむら

[現在地名]中島町上町

熊木くまき川下流右岸の村で、南東は浜田はまだ村。村名は市姫いちひめ宮の川上で三斎市が開かれたことに由来するという(能登志徴)。永正一三年(一五一六)五月二八日、本願寺実如が「鹿島郡熊木庄上町」の正誓に阿弥陀如来絵像を下付した(本浄寺蔵同像裏書)。永禄二年(一五五九)九月二五日の釶打熊野権現奉加札(藤津比古神社蔵)に米「三袋五ツ上町ヨリ」の記載があったというが(能登志徴)、現在は磨滅して判読できない。


上町村
かのまちむら

[現在地名]小田原市上町

北は沼代ぬましろ村、東は中村原なかむらはら小船おぶね村・羽根尾はねお村、西は田島たじま村に接する。天文一〇年(一五四一)の下中村上町検地帳(県史三)によれば、田一四町一反三〇歩、畠二七町五反五〇歩、合計の分銭一一五貫九四二文であった。同一六年九月二一日の北条氏康判物写(同書)によれば「相州西郡下中村内上町分百貫文地」を小田原城内にあった本光ほんこう寺に寄進、翌一七年一二月二三日の北条氏康判物(同書)に「中村之内御寺領上町屋、致不入進候、并反銭・棟別之事者、自来年酉歳可進覧候、但陣夫、定夫之儀者、可被仰付候」とあって不入の地となった。同一九年七月一七日北条氏は小竹おだけ村との紛争地八反半二〇歩を当村分と定め(前出検地帳)、改めて本光寺へ寄進(「北条家朱印状写」県史三)、さらに同二四年一一月二日の北条家朱印状(同書)には本光寺領下中しもなか村のうち上町分の年貢反銭の皆済が命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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