朝日日本歴史人物事典 「古林見宜」の解説
古林見宜
生年:天正7(1579)
江戸前期の儒医。名は道芥のち正温。号は桂庵,寿仙坊。播磨国(兵庫県)飾磨郡の人で赤松氏則の子孫という。祖父〓庵は明に留学した名医。見宜も医を学び,京に出て曲直瀬正純に就き,朱丹渓や 張仲景 などを基盤とした当時の新渡来の医学を修めた。のち大坂聚楽町で医を開業。また同門の堀杏庵と協力して京都嵯峨に学舎を創設し門人3000名を育成。養子見桃や松下見林もその弟子。質実剛健の人で法印の位も固辞した。<参考文献>『見宜翁医按』
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報