江戸前期の儒学者。医者堀徳印の子。近江(おうみ)国(滋賀県)生まれ。名は正意(まさおき)、字(あざな)は敬天、別号杏隠。京都の藤原惺窩(ふじわらせいか)に師事し、林羅山(はやしらざん)・松永尺五(まつながせきご)・那波活所(なわかっしょ)とともに惺窩門下の四天王と称された。医を曲直瀬正純(まなせまさずみ)(1559―1605)に受け、国典や詩歌にも長じ、紀州藩主浅野幸長(あさのよしなが)に仕えた。浅野家転封で広島に行き、1631年(寛永8)に尾張(おわり)藩主徳川義直(とくがわよしなお)に仕えて儒官となる。のち幕命により弘文院にあって『寛永(かんえい)諸家系図伝』の編集を林羅山と担当した。
[今中寛司 2016年7月19日]
(柴田純)
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…【玉村 竹二】
【近世】
近世初期,漢詩文を制作するうえで必要とされる漢語その他中国文化万般にわたる知識をもっとも豊富に有していたのは儒者であったから,近世における漢詩文の歴史は,儒者の余技という形で出発した。すなわち近世最初の儒者である林羅山,松永尺五(せきご),堀杏庵,那波活所(なわかつしよ)などが,同時に近世最初の漢詩人でもあった。したがってその文学活動は,彼らの奉じた朱子学の文学観の影響を強く受け,知識人の重んずべきは儒学であって,詩文は第二義の営みにすぎないという消極的な位置づけと,詩文は道徳に資するものでなければならないという道学主義との拘束のもとにあった。…
※「堀杏庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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