デジタル大辞泉 「松下見林」の意味・読み・例文・類語 まつした‐けんりん【松下見林】 [1637~1704]江戸前期の儒医・国学者。大坂の人。名は慶・秀明。号、西峯山人。和漢の学に精通し、「三代実録」を校訂出版。著「異称日本伝」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「松下見林」の意味・読み・例文・類語 まつした‐けんりん【松下見林】 江戸初期の儒医、国学者。大坂の人。国学と考証に詳しく、「三代実録」を刊行した。著は他に外国資料による日本史研究書「異称日本伝」など。寛永一四~元祿一六年(一六三七‐一七〇三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「松下見林」の意味・わかりやすい解説 松下見林まつしたけんりん(1637―1703) 江戸前期の儒医、歴史家。名は慶、秀明。字(あざな)は諸生。見林は通称。大坂の医家に生まれる。13歳で古林見宜(ふるばやしけんぎ)(1579―1657)に入門し、医学、儒学を学び、国史を修める。のち京都で医術を業としつつ、儒学、国史を究め、かつ講ずる。考証に秀で、『三代実録』を校正・刊行し、三十余年を費やして『異称日本伝』を著す。後者は外国史料に基づく国史研究書で、史学史・思想史上意義が大である。晩年高松藩に仕えた。[玉懸博之 2016年7月19日][参照項目] | 異称日本伝 | 日本三代実録 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松下見林」の解説 松下見林 まつした-けんりん 1637-1704* 江戸時代前期の医師,儒者。寛永14年1月1日生まれ。大坂の医師松下見朴の養子。儒医古林見宜(けんぎ)にまなぶ。京都で医業のかたわら「三代実録」を校訂し,「異称日本伝」などをあらわす。後年,讃岐(さぬき)高松藩主松平頼常につかえた。元禄(げんろく)16年12月7日死去。67歳。本姓は橘。名は秀明,慶摂。字(あざな)は諸生。号は西峯山人。【格言など】謹んで墓碣を建つる勿(なか)れ,吾が後人に期するところ,著述の在るあり,もって百世に朽ちざるにたらん(遺言) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「松下見林」の解説 松下見林 没年:元禄16.12.7(1704.1.13) 生年:寛永14.1.1(1637.1.26) 江戸時代前期の歴史家。本姓は橘氏。名は秀明,慶摂。字は諸生。見林と称し,西峯山人などと号する。大坂の医者の子として生まれ,慶安2(1649)年に古林見宜に入門,医学を学んだ。京都に住し,医を業とする傍ら,儒学・歴史学を学び,数多くの著書を残した。のちには讃岐国高松藩の儒者となったが,京都に住し,そこで没した。著書のひとつである『異称日本伝』(1693)は,『史記』など中国や朝鮮の書物のなかから,日本に関する記事を抄出したもので,完成には30年を要した。 (樫澤葉子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
旺文社日本史事典 三訂版 「松下見林」の解説 松下見林まつしたけんりん 1637〜1703江戸前期の儒医・歴史学者大坂の人。古林見宜 (けんき) に医学を学び,算数・経学にも通じた。21歳で京都にのぼり国史の研究に没頭,『日本三代実録』の校訂や『異称日本伝』を編纂した。和漢の古典にくわしく,蔵書は10万巻余といわれる。晩年讃岐(香川県)高松藩に仕えた。 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
367日誕生日大事典 「松下見林」の解説 松下見林 (まつしたけんりん) 生年月日:1637年1月1日江戸時代前期;中期の歴史家1704年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報