古谷久綱(読み)フルヤ ヒサツナ

20世紀日本人名事典 「古谷久綱」の解説

古谷 久綱
フルヤ ヒサツナ

明治・大正期の官僚,政治家 衆院議員(政友会);伊藤博文首相秘書官



生年
明治7年6月17日(1874年)

没年
大正8(1919)年2月11日

出生地
愛媛県

学歴〔年〕
同志社〔明治16年〕卒,ブリュッセル大学卒

主な受賞名〔年〕
勲三等

経歴
国民新聞記者を経て、明治33年東京高商教授、同年伊藤博文首相秘書官となり、35年伊藤の欧米巡遊に随行。38年伊藤が韓国統監になるとその秘書官、41年伊藤枢密院議長秘書官。42年伊藤の死後宮内省勅任式部官となり、李王家御用掛兼任。大正3年辞任、4年以来愛媛県から衆院議員当選2回、政友会に属した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「古谷久綱」の解説

古谷 久綱
フルヤ ヒサツナ


肩書
衆院議員(政友会),伊藤博文首相秘書官

生年月日
明治7年6月17日

出生地
愛媛県

学歴
同志社〔明治16年〕卒 ブリュッセル大学卒

経歴
国民新聞記者を経て、明治33年東京高商教授、同年伊藤博文首相秘書官となり、35年伊藤の欧米巡遊に随行。38年伊藤が韓国統監になるとその秘書官、41年伊藤枢密院議長秘書官。42年伊藤の死後宮内省勅任式部官となり、李王家御用掛兼任。大正3年辞任、4年以来愛媛県から衆院議員当選2回、政友会に属した。

受賞
従三位勲三等

没年月日
大正8年2月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「古谷久綱」の解説

古谷久綱

没年:大正8.2.11(1919)
生年:明治7.6.17(1874)
明治大正期の官吏。愛媛県出身。同志社大卒業後に渡欧しベルギーのブリュッセル大で法制経済を学ぶ。帰国後国民新聞社に入り,のち東京高商(一橋大)教授となったが,伊藤博文の知遇を得て,以後伊藤が首相,韓国統監,枢密院議長を歴任するに従ってその秘書官を多年勤めた。伊藤死去後は宮内省に入り勅任式部官,李王家御用掛兼王世子付として信任厚かった。大正3(1914)年官を辞し衆院議員となり,政友会に属した。終始伊藤に影のごとく仕えた人物である。<著作>『藤公余影』<参考文献>衆議院・参議院編『議会制度百年史』

(森山茂徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古谷久綱」の解説

古谷久綱 ふるや-ひさつな

1874-1919 明治-大正時代の官僚,政治家。
明治7年6月17日生まれ。ブリュッセル大にまなぶ。明治33年高等商業(現一橋大)教授。伊藤博文にみとめられ,伊藤が首相,韓国統監,枢密院議長となると各秘書官をつとめ,伊藤の死後は宮内省式部官となった。大正4年衆議院議員(当選2回,政友会)。大正8年2月11日死去。46歳。愛媛県出身。同志社卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古谷久綱」の解説

古谷 久綱 (ふるや ひさつな)

生年月日:1874年6月17日
明治時代;大正時代の官吏;政治家。東京高等商科大学教授;衆議院議員
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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