古賀庄(読み)こがのしよう

日本歴史地名大系 「古賀庄」の解説

古賀庄
こがのしよう

現安曇川町中部から北西部の安曇川流域を庄域とする庄園。古賀庄は同川を境に南・北に分れ、北古賀庄は上・下に分れていた。北古賀上庄は現上古賀付近、北古賀下庄は下古賀付近、南古賀庄は南古賀・中野なかの長尾ながお付近に比定される。また貞和四年(一三四八)一二月七日の堀河基俊遺領裁許状(東京大学史料編纂所蔵)に「近江国広瀬庄号小賀」とみえ、古賀庄は広瀬ひろせ庄とも称されていた。よって史料上にみられる広瀬南庄は南古賀庄、広瀬北庄は北古賀庄をさすと考えられるが、文明二年(一四七〇)一二月二三日の室町幕府政所執事・奉行人連署奉書(久我家文書)には「北古賀上庄号広瀬」ともある。在地では古賀庄、領主側は広瀬庄の呼称を用いたとも推定される。

広瀬南庄・同北庄の立庄の経緯は未詳だが、平安末期から南北朝期にかけて広瀬庄の名称が多く使用されている。安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)には、院庁管轄の庄園として「近江国広瀬南」とみえ、「山槐記」元暦元年(一一八四)九月一五日条に載る「近江国注進風土記」では、高島郡に「広瀬郷」の存在が確認される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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