古高松村
ふるたかまつむら
[現在地名]高松市高松町
新田村の東に位置する。高松平野の東端、東南部は立石山から延びる丘陵、中央から北部にかけ平野が広がる。古代の山田郡高松郷(和名抄)の遺称地。「吾妻鏡」元暦二年(一一八五)二月一九日条によれば、屋島に拠る平家を討つため屋島の向い浦に至った源義経が牟礼(現木田郡牟礼町)、高松の民屋を焼払い、このため平氏は屋島の拠所を出て海上に逃れたとみえる。地頭名の地名が残る。天正一六年(一五八八)、生駒親正が香川郡野原郷の海辺に築城し、その地を高松と称したので、もとの高松郷は古高松と改められたという(讃岐大日記)。
寛永国絵図では古高松郷として高二千四六一石(古高松郷・東片本・赤羽崎・浦生・新田・友久・小山・中谷・津村の九村を含む)。同絵図では当村と屋島の間は海になっているが、当地は満潮時には海水が東西から満ち、干潮時には東西に引分れたことから相引浦と称された(讃州府志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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