喜岡城跡(読み)きおかじようあと

日本歴史地名大系 「喜岡城跡」の解説

喜岡城跡
きおかじようあと

[現在地名]高松市高松町

相引あいびき川の南方の小丘陵上にある南北朝期―戦国時代に高松氏の拠った城。本丸跡比定地に現在喜岡寺の堂宇と権現社がある。明治の野取図には周囲の空堀跡も記されている。鎌倉時代末期には美濃国土岐氏の一族舟木(高松)頼重が当地に居住し、近隣諸郡を管領していたという(舟木氏系図など)高松頼重は、元弘三年(一三三三)後醍醐天皇東征に参陣。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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