日本歴史地名大系 「召田村」の解説 召田村めすだむら 長野県:東筑摩郡四賀村召田村[現在地名]四賀村中川(なかがわ) 召田松本藩領会田(あいだ)組で、のち幕府領。矢久(やきゆう)村の西、長越(ながこせ)村の東に位置し、会田川の上流中川の南側にある。天正検地には八七石二斗五升五合と記載される。「信府統記」には享保九年(一七二四)当時の石高は一二三石一斗一升八合、うち田九二石四斗九升八合、畑一三石八斗五升二合である。寛文年間(一六六一―七三)は田四町七段九畝一一歩、畑四町九段一畝である。矢久村との境の召田城跡は矢久城跡ともいい、尾根続きの小山の麓から段郭があり、主郭・副郭の跡も残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by