コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

右馬允家安 うまのじょう いえやす

2件 の用語解説(右馬允家安の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

右馬允家安 うまのじょう-いえやす

?-? 鎌倉時代の名主。
東寺領の丹波大山荘(おおやましょう)(兵庫県)一井谷(いちいたに)に田8反を所有。永仁(えいにん)2年(1294)同荘が東寺と地頭との下地中分(したじちゅうぶん)とされたとき沙汰人(さたにん)となる。文保(ぶんぽ)2年(1318)預所(あずかりどころ)と対決し,名主・農民による同荘の管理,年貢徴収などの請負を実現させた。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

右馬允家安

生年:生没年不詳
鎌倉後期の名主,沙汰人。藤原家安,右馬尉,馬允などとも称される。東寺領丹波国大山荘(兵庫県丹南町)一井谷の行恒名の名主であったと推定され,永仁3(1295)年の東寺と地頭との下地中分以降,沙汰人職に補任される。文保2(1318)年には,一井谷百姓を代表して預所重舜の非法を追及,東寺の法廷で対決し,年貢の百姓請を実現した。悪党厳増の代官の荘内乱入の際は,人勢,兵粮米を集めて防戦し,また作田の確保をめぐって,他の有力名主らと共に地頭方の苅田を強行した。中世村落の中核に位置する存在として,研究史上村落領主と概念化されている。<参考文献>大山喬平『日本中世農村史の研究』

(水野章二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

右馬允家安の関連キーワード西山慈寛沙汰人所務沙汰藤原為世国光藤原為定寺島治朗藤原家時(1)藤原家時(2)

今日のキーワード

災害派遣

天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のために行なわれる自衛隊の派遣。災害出動ともいう。都道府県知事などの要請に基づいて,防衛大臣が派遣することを原則とするが,特に緊急を要する場合,要請を...

続きを読む

コトバンク for iPhone