中世において指示,命令,処置,判決などの執行に当たる者の称。12世紀以降多く見られるようになる。以下類別して主要なものをあげる。(1)政治的・軍事的命令の執行に当たる追捕や治安維持の役人など。追討使として平家滅亡後も九州に滞在していた源範頼に対し,源頼朝は1185年(文治1)7月,平家没官領および平家与同の張本の輩の没収所領に〈沙汰人を差置き〉帰洛するよう命じた。これはのちの地頭につながるものである。また平治の乱(1159)で敗れた源義朝が落ち行く所に,〈落人にやあるらん,いざとどめんとて沙汰人あまた出でける中に……〉(《平治物語》)とあるのは追捕の役人である。(2)中世荘園における荘官,あるいは有力農民で荘園領主の指名を受け荘官に準ずる役割を果たす者。沙汰人の古文書上の初見と思われる1097年(承徳1)6月の大宰府天満宮安楽寺留守所牒案には,〈数十の神人を発遣し,封民を陵礫するの条,沙汰人に尋問するの処,全く無実の由申す所也〉とある。この沙汰人は現地の荘官を指すと思われる。中世文書には下司・田所・公文等の荘官の連署状に〈沙汰人等注進状〉という端裏書をつけたものが散見される。とくに多く見られるのは有力農民が沙汰人となっている場合である。鎌倉末期,東寺領丹波国大山荘の〈根本名主〉で〈領家一円の百姓〉であった右馬允は,〈地下故実〉の者たるによって沙汰人に任命された。そして若狭国太良荘では〈沙汰人職〉があった。これらの沙汰人は荘官に準じ,年貢の収納等の荘務に当たる側面と,〈当村古老沙汰人百姓等〉といわれるような惣村の代表者というべき側面をもっていた。(3)奉行人などの裁判担当者。1256年(康元1)12月20日の六波羅問注条々について仰せ遣わす事の一項に,〈問注記を以って沙汰人等に下し,理非を勘えしむの処……〉とあるのはその一例である。以上(1)~(3)のほか,中世寺院の役僧や法会・衆会の世話人をいうこともある。
→沙汰
執筆者:工藤 敬一
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沙汰とは、裁判その他の諸事務にあたり、その命令、執行に携わることをいう。中世では役所の雑掌(ざっしょう)、寺院集会(しゅうえ)の代表者をはじめ、当該事務を管轄し取り扱う地位にある者が広く沙汰人とよばれた。荘園(しょうえん)や郷(ごう)(公領)の地頭(じとう)・下司(げし)・郷司なども、この意味で沙汰人とよばれることがあったが、これらの者の下位に位置して、中世村落の側からその職務遂行に協力する立場にある名主(みょうしゅ)百姓中の有力な者を、沙汰人とよぶのがもっとも一般的である。このことは、地頭・下司などを任命する補任(ぶにん)状の書止め箇所に、「沙汰人百姓よろしく承知すべし。件(くだん)によりてこれを用いよ」などと、地頭らの職務執行への協力を呼びかける文言(もんごん)がしばしばみえる事実からも確かめることができる。
[鈴木国弘]
中世で「沙汰」とは政治・軍事上の処置・命令や判決などの執行にあたったり,年貢諸役などを取り立て荘務を遂行するなど,かなり広義に使用された語で,沙汰人とは沙汰を実際に執行する者の総称。追捕(ついぶ)の役人・奉行人など裁判担当者,中世寺院の役僧や集会の世話人,あるいは役所の職名など多様である。最も多くみられるのは荘園の沙汰人で,在荘して年貢・公事(くじ)の収納にあたったり,領主からの命令を現地で執行する下級荘官,またはこれに準ずる者をさす。後者には有力農民が多くついたことから,沙汰人は刀禰(とね)・乙名(おとな)などとともに,村落の自治的組織の代表者という側面をももった。
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…荘園の管理にあたる役人の総称。荘司,沙汰人ともいう。時代および役割によって種々の呼称がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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