文保(読み)ブンポウ

デジタル大辞泉 「文保」の意味・読み・例文・類語

ぶんぽう【文保】

鎌倉後期、花園天皇後醍醐天皇の時の年号。1317年2月3日~1319年4月28日。ぶんぽ。

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精選版 日本国語大辞典 「文保」の意味・読み・例文・類語

ぶんぽう【文保】

  1. 鎌倉時代、花園天皇・後醍醐天皇の代の年号。正和六年(一三一七)二月三日に改元、文保三年(一三一九)四月二八日に至って次の元応となる。出典は「梁書」の「姫周基文、久保七百」。

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日本の元号がわかる事典 「文保」の解説

ぶんぽう【文保】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1317年から1319年まで、花園(はなぞの)天皇、後醍醐(ごだいご)天皇の代の元号。前元号は正和(しょうわ)。次元号は元応(げんおう)。1317年(正和6)2月3日改元。地震の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『梁書(りょうしょ)』を出典とする命名。文保年間の鎌倉幕府の将軍は守邦(もりくに)親王(9代、鎌倉幕府最後の将軍)。執権は北条高時(たかとき)(14代)。後深草(ごふかくさ)天皇の皇統である持明院統(じみょういんとう)と、亀山(かめやま)天皇の皇統である大覚寺統(だいかくじとう)の皇位継承をめぐる対立が生じたが、幕府は1317年(文保1)に両皇統の天皇が交互に即位する「両統迭立(てつりつ)」を提示し、両統の妥協・合意が図られた(「文保の和談」)。翌1318年(文保2)、持明院統の花園天皇が譲位し、大覚寺統の後醍醐天皇が即位した。皇太子に立てられたのは、大覚寺統嫡流の後二条(ごにじょう)天皇の皇子(邦良(くによし)親王)で、後醍醐は中継ぎの天皇とされた。

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