デジタル大辞泉 「永仁」の意味・読み・例文・類語 えいにん【永仁】 鎌倉中期、伏見天皇・後伏見天皇の時の年号。1293年8月5日~1299年4月25日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「永仁」の意味・読み・例文・類語 えいにん【永仁】 鎌倉時代、伏見天皇、後伏見天皇の代の年号。正応六年(一二九三)八月五日地震、旱魃(かんばつ)などにより改元。将軍久明親王、執権北条貞時の時代。永仁七年(一二九九)四月、正安と改元された。出典は「晉書‐楽志」に「永載二仁風一、長撫二無外一」とあるのによる。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「永仁」の解説 えいにん【永仁】 日本の元号(年号)。鎌倉時代の1293年から1299年まで、伏見(ふしみ)天皇、後伏見(ごふしみ)天皇の代の元号。前元号は正応(しょうおう)。次元号は正安(しょうあん)。1293年(正応6)8月5日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『晋書(しんじょ)』を出典とする命名。永仁年間は、持明院統(じみょういんとう)と大覚寺統(だいかくじとう)の皇位継承をめぐる対立があった時期。持明院統の伏見天皇は1287年(弘安10)、大覚寺統の後宇多(ごうた)天皇の譲位により即位した。その後、伏見は自分の皇子(後の後伏見天皇)を立太子したために大覚寺統との間の確執が深まり、鎌倉幕府の介入を招いた。幕府の干渉が強まる中、伏見は1298年(永仁6)に後伏見天皇に譲位して上皇となり、院政を開始した。同年間の鎌倉幕府の将軍は久明親王(ひさあきしんのう)(8代)、執権は北条貞時(ほうじょうさだとき)(9代)。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報