日本歴史地名大系 「合ヶ野村」の解説 合ヶ野村ごがのむら 三重県:一志郡嬉野町合ヶ野村[現在地名]嬉野町合ヶ野中村(なかむら)川沿いの山間部に位置し、上流で飯福田(いぶた)川が合流する。矢下(やおろし)村の南西にあたる。合箇野とも書く。小字にキタノカイトがあり、中世の開発がうかがわれる。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳に合ヶ野之郷とみえ、石高一一七・五三石とある。江戸時代は津藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)には畑一一七・五二石とあり、柴山・茅山があった。寛延(一七四八―五一)頃には家数三九、郷士三、人数四三八、馬七とあり、神祠に蔵王(ざおう)権現二・八王子、寺院に大泉(だいせん)庵・道場二がみえる(宗国史)。「五鈴遺響」には家数二三とあり、枝郷大久保を記す。明治五年(一八七二)の村明細帳(徳川林政史蔵)では家数四七、人数二二二、牛三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by