合山村外十一ヶ村立会新田(読み)あやまむらほかじゆういちかそんたちあいしんでん

日本歴史地名大系 の解説

合山村外十一ヶ村立会新田
あやまむらほかじゆういちかそんたちあいしんでん

[現在地名]西脇市出会町(であいちよう)

合山村の北東に位置する。加西郡に属する。十二(じゆうに)ヶ村(そん)立会新田・木谷(きだに)新田とも称する。享保七年(一七二二)新田検地普請奉行千種清左衛門が木谷山を見分し、同八年開拓を奨励した。木谷山は加西郡一一ヵ村と多可(たか)郡一九ヵ村との入会争論が寛文九年(一六六九)に決着し、加西郡領と確定した(「木谷山山論につき裁許状」西仙寺文書)。加西郡合山・下(しも)新田・落方(おちかた)・明楽寺(みようらくじ)・水尾(みずお)、国正(くにまさ)・奥山寺(おくさんじ)・大工(だいく)・馬渡谷(もうたに)・鍛冶屋(かじや)・油谷(ゆだに)・田屋(たや)(現加西市)の一二ヵ村立会新田で代官見立型新田である。享保一四年には木谷新田一七町余、家数二〇軒であった(「木谷山目安返答書写」「検地帳写」農協芳田支所預文書)。同一七年、再び多可郡側と木谷山の入会をめぐって争論が起きる(前掲返答書写)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報