日本歴史地名大系 「合歓木村」の解説 合歓木村ねむのきむら 愛知県:岡崎市合歓木村[現在地名]岡崎市合歓木町岡崎城の西南、矢作川と菅生(すごう)川の合流点から下って矢作川の左岸に沿って赤渋(あかしぶ)・中之郷(なかのごう)・上青野(かみあおの)・高橋(たかはし)新田村と続き、次に合歓木村に至る。青野村の支村。「三河国二葉松」に合歓木古屋敷として松平信孝・同金之助の名がある。信孝は松平家六代信忠の次男で七代清康の弟にあたる。「三河刪補松」によると、信忠が家督を譲って退く時に次男信孝は合歓木を領有し、その後三(み)ッ木(ぎ)城、さらには岩津(いわづ)城をもその支配下に入れて勢力大いに振るったが、のち謀反によって天文一七年(一五四八)岡崎において戦死した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by