都築弥厚(読み)ツヅキヤコウ

デジタル大辞泉 「都築弥厚」の意味・読み・例文・類語

つづき‐やこう【都築弥厚】

[1765~1833]江戸時代豪農三河の生まれ。矢作川から灌漑かんがい用水路(現明治用水)を引くため私財を投じて測量幕府願書提出工事が許可されるも実行前に破産病没

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朝日日本歴史人物事典 「都築弥厚」の解説

都築弥厚

没年:天保4.9.10(1833.10.22)
生年明和2(1765)
江戸後期の新田開発,用水開削計画者。三河国碧海郡和泉村(安城市)の都築也更の長男。世襲名は弥四郎で,弥厚はその2代目。近郷に名を轟かせた豪農で,酒造業を営み,銘酒玉泉は江戸へも送られた。文化10(1813)年,旗本松平作左衛門家の根崎陣屋の代官に任じられ,そのころから,碧海の洪積台地に用水を開削する計画を思い立ち,村人たちの反対にも屈せず,私財を投じ,夜陰に忍んで測量を完成し,文政10(1827)年3代弥四郎の名で幕府勘定奉行へ出願。天保4(1833)年,計画の一部である五ケ野原などで約200haの開拓許可を得たが,病を得て失意の内に没する。約50年後,この計画は明治用水として結実,農民からの発案によって行われた最大の土地改良事業となった。安積疏水(福島県),那須疏水(栃木県)とともに明治三大用水に数えられる。和楽と号し「木がらしもまつに移れば松の風」の句がある。

(林昌弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の都築弥厚の言及

【明治用水】より

…幹線水路は52km,支線延長は296kmに達する。1827年(文政10)碧海郡和泉村(現,安城市)の酒造家都築弥厚(つづきやこう)が用水計画を江戸幕府へ出願したのが始まりで,民間資本をもとに1879年に工事が開始され,翌80年に完成した。安城市を中心とする碧海台地はこれにより水田化が進められた。…

※「都築弥厚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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