日本歴史地名大系 「合海村」の解説
合海村
あいかいむら
[現在地名]大蔵村合海
清水氏の清水河岸拡張策の一環として慶長(一五九六―一六一五)末期に本合海町村の人々を移住させて成立した村で、同一六年清水義親は「合海町中者共」へ判物を与え「一月の内十七日は惣て荷物合海町におろし可申者也」と合海河岸の保護を指示したとされる(増訂最上郡史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
清水氏の清水河岸拡張策の一環として慶長(一五九六―一六一五)末期に本合海町村の人々を移住させて成立した村で、同一六年清水義親は「合海町中者共」へ判物を与え「一月の内十七日は惣て荷物合海町におろし可申者也」と合海河岸の保護を指示したとされる(増訂最上郡史)。
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