日本歴史地名大系 「吉右衛門肝地」の解説 吉右衛門肝地きちえもんきもいりち 大阪府:大阪市天王寺区吉右衛門肝地[現在地名]天王寺区空清(からきよ)町・空堀(からほり)町・玉造本(たまつくりほん)町・真田山(さなだやま)町、南区上本(うえほん)町西(にし)二―三丁目、東区竜造寺(りゆうぞうじ)町・十二軒(じゆうにけん)町・上町(うえまち)・玉造(たまつくり)一―二丁目など元和年間(一六一五―二四)以降、大坂城の回りの武家地には城番属吏の邸宅が設けられたが、その剰余の畑地は高津屋吉右衛門の肝煎地とされ、吉右衛門肝煎地と総称され、西成(にしなり)郡に属した(大阪府全志)。高津屋吉右衛門については株仲間名前帳前書(「大阪市史」所収)に「吉右衛門肝煎(地)庄屋玉造平野口町年寄兼帯高津屋吉右衛門儀、先祖之者へ被下地之内」とみえる。この畑地は大坂城の南東から南西にかけてのかなり広い地域に散在しており、また時代によりいくらかの変化がみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by