吉大尚(読み)きち・だいじょう

朝日日本歴史人物事典 「吉大尚」の解説

吉大尚

生年生没年不詳
7世紀後半に医術文芸朝廷に仕えた百済系の渡来人。天智10(671)年1月,百済の滅亡後日本に亡命してきた人々に日本の官位が与えられたとき,小山上を授けられ,薬学に通じていると『日本書紀』に記されている。『懐風藻』には沙宅紹明らと共に皇太子大友皇子の「賓客」となったとあるので,学芸の面でもすぐれた才能を持っていたことがうかがえる。子孫にも医術をもって賞されたものがある。『続日本後紀』承和4(837)年6月条には吉大尚の先祖任那に派遣された倭人であるという伝承が載せられているが,信憑性はないと考えられている。

(清田善樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉大尚」の解説

吉大尚 きち-だいじょう

?-? 飛鳥(あすか)時代の渡来人。
百済(くだら)(朝鮮)の官吏。位は達率(だちそち)。百済滅亡(663)のおり弟の少尚らとともに日本に亡命。医術や文芸に通じ,大友皇子にまねかれた客員学者のひとり。天智(てんじ)天皇10年(671)小山上(しょうせんじょう)の位をさずかった。吉田(きった)((きちた))氏の祖。塩乗津彦(しおのりつひこ)の子孫といわれる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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