吉年村(読み)よどしむら

日本歴史地名大系 「吉年村」の解説

吉年村
よどしむら

[現在地名]千早赤阪村吉年

東坂あずまざか村の西にあり、丘陵地に位置する。室町時代の両畠山氏の抗争の際には当地一帯も戦場となった。畠山義就が籠った嶽山だけやま(現富田林市)を中心に、長禄四年(一四六〇)から寛正四年(一四六三)落城に至るまで合戦が繰広げられ、同二年八月一二日の足利義政御内書案(吉川家文書)に「淀子」がみえるほか、同年または同四年と考えられる七月一七日の毛利少輔太郎宛畠山政長感状(毛利家文書)などに「淀子」での合戦が記される。文禄二年(一五九三)の中津原村口山御検地帳(尾花家文書)に「拾八文いどの下 吉年 与一太夫」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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