日本歴史地名大系 「東坂村」の解説
東坂村
あずまざかむら
文禄二年(一五九三)の中津原村口山御検地帳(尾花家文書)に「五文 おさかたの向田べり 東坂 源十郎」「四拾五文 さんまいの前 東坂 六郎」などとみえる。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳によると高四二八石余、幕府領、ほかに山年貢米一〇石。延宝年間(一六七三―八一)の河内国支配帳では四二八石余と新田分三三石余、幕府領。天和元年(一六八一)の河州各郡御給人村高付帳、元文二年(一七三七)の河内国高帳でも幕府領。天保三年(一八三二)には常陸下館藩領で(前掲村高控帳)、幕末まで続く。延宝六年の検地帳(伏井家文書)では、慶長一三年(一六〇八)検地の有高四二一石余に延宝五年の新開などを加えて四六二石余とする。享保四年(一七一九)の村差出帳(大橋家文書)によると高四三七石余・山年貢一〇石四斗余で、これは正徳二年(一七一二)の免状(同文書)や安永七年(一七七八)の免割算用帳(伏井家文書)でも同じ。
東坂村
ひがしさかむら
東坂村
あずまざかむら
東坂村
ひがしくずさかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報