吉橋村
よしはしむら
[現在地名]八千代市吉橋
麦丸村の西に位置し、南は大和田新田。中世には吉橋郷とみえる。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に村名がみえる。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高三七六石余、旗本小栗・川村・清野領の三給。正徳二年(一七一二)の村明細帳(高橋家文書)によると旗本川村氏は一九二石余を知行し、その反別は三二町六反余であった。大和田宿の助郷を勤めた。溜井が石神台にあったが、不足していたため坪井村(現船橋市)からも引水し、年二俵を同村に渡していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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