吉田一(読み)ヨシダ ハジメ

20世紀日本人名事典 「吉田一」の解説

吉田 一
ヨシダ ハジメ

大正期の労働運動家



生年
明治25(1892)年8月8日

没年
昭和41(1966)年9月17日

出生地
千葉県夷隅郡御宿町

別名
愛称=ピン

経歴
鍛冶屋の丁稚をふり出しに、明治40年頃上京し、秀英舎に鍛冶工として入職。その後労働運動に入り、大正8年水沼辰夫と労働相談所を開設。インテリアナキストに反発して労働者の視点からの運動を主張し、10年労働社を結成。11年モスクワで開かれたコミンテルン主催の極東民族会議に出席し、片山潜田口運蔵レーニン、スターリンらと会見。これを機にアナキズムから離れる。12年高尾平兵衛らと戦線同盟を結成し、赤化防止団長・米村嘉一郎を襲撃したが、逆に米村に発砲されて負傷した。著書に「レーニン会見記」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田一」の解説

吉田一 よしだ-はじめ

1892-1966 大正-昭和時代の社会運動家。
明治25年8月8日生まれ。秀英舎の鍛冶工となり,水沼辰夫と知りあい労働運動にかかわる。大正10年高尾平兵衛らと労働社を結成。のちアナーキズムからはなれ,12年高尾らと戦線同盟を結成,赤化防止団長米村嘉一郎をおそって負傷した。以後,第一線からはなれた。昭和41年9月17日死去。74歳。千葉県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む