片山潜(読み)カタヤマセン

デジタル大辞泉 「片山潜」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐せん【片山潜】

[1859~1933]労働運動指導者。岡山の生まれ。米国留学から帰国後、労働組合結成を指導。また、社会主義運動の先駆となった。日露戦争中、反戦を主張。のち、ソ連に渡ってコミンテルン中央執行委員となり、モスクワで死去。著「日本の労働運動」など。

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精選版 日本国語大辞典 「片山潜」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐せん【片山潜】

  1. 労働運動、社会主義運動の先駆者。美作(岡山県)出身。イェール大学卒。労働組合期成会社会民主党の結成に参画し、一貫して普通選挙権を主張。大正三年(一九一四アメリカに亡命後、共産主義者となり、同一一年にはコミンテルン常任執行委員としてモスクワで活動。日本共産党の結成を指導した。モスクワで死去。著「日本の労働運動」「我社会主義」など。安政六~昭和八年(一八五九‐一九三三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「片山潜」の意味・わかりやすい解説

片山潜
かたやません
(1859―1933)

日本労働運動、国際共産主義運動の指導者。安政(あんせい)6年12月3日、美作(みまさか)国粂(くめ)南条郡羽出木(はでき)村(岡山県久米郡久米南(くめなん)町字羽出木)に、庄屋(しょうや)藪本家の二男として生まれ、菅太郎と称す。19歳のとき徴兵免除のため片山家の養子となり、のちに潜と改名。1884年(明治17)渡米し、皿洗いなどしながらポプキンズ・アカデミーはじめ多くの大学で約11年間勉学し、グリンネル大学で文学修士、エール大学で神学士となる。この間にキリスト教徒となるが、貧民問題、労働問題および社会主義に深い関心を寄せる。

 日清(にっしん)戦争終結の翌年の1896年帰国、労働問題が世間の注目を浴びるようになった97年、高野房太郎らとともに7月に労働組合期成会を結成、その機関誌『労働世界』の編集長となり、鉄工組合活版工組合、日鉄矯正会などの労働組合を指導する。1901年(明治34)5月には、わが国最初の社会主義政党社会民主党の創立者の一人となり、日露戦争が始まった04年の夏にはアムステルダムの万国社会党大会に日本代表として出席、ロシアのプレハーノフとともに副議長に選ばれ、不戦の握手を交わして国際的脚光を浴びた。日露戦争後は、直接行動論を主張するようになった幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らに対して、議会政策を堅持し、普通選挙の実現や労働者の団結に力を尽くすが、大逆事件のあとの11~12年の東京市電争議を指導したため重禁錮5か月の刑に処され、出獄後も自由な活動ができず、第一次世界大戦勃発直後の14年9月にアメリカに渡る。

 滞米中は、在米日本人社会主義グループの結成に努めると同時に、アメリカの反戦活動家と接触をもって活動し、ロシア革命とその指導者レーニンの『国家と革命』に学んで共産主義者となり、アメリカ共産党メキシコ共産党の創立に力を尽くしたあとモスクワに赴き、1922年にはコミンテルンの執行委員会幹部会員に選ばれ、日本共産党の設立や綱領作成など日本の共産主義運動を指導した。また、国際反帝同盟はじめ反戦運動の面でも活躍したが、昭和8年11月5日、敗血症のためモスクワで死去。74歳。その遺骨はクララ・ツェトキンなど共産主義運動の最高指導者とともにクレムリンの壁に葬られている。

[岡本 宏]

『片山潜著『自伝』(1954・岩波書店)』『『片山潜著作集』全3巻(1959~60・河出書房)』『河村望著『片山潜』(1974・汐文社)』『隅谷三喜男著『片山潜』(1977・東京大学出版会)』

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百科事典マイペディア 「片山潜」の意味・わかりやすい解説

片山潜【かたやません】

日本労働運動の先駆者,社会主義者。岡山県生れ。印刷工などをして苦学。1884年渡米,イェール大学などに学び1896年帰国。翌年労働組合期成会に参加し機関誌《労働世界》の主筆となる。1901年社会民主党の創立に参加。1904年第二インターナショナルアムステルダム大会に出席しロシア代表プレハーノフとともに反戦を訴える。1907年の日本社会党第2回大会で議会政策論を主張し幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らと対立。大逆事件後も一貫して労働運動を指導し,東京市電争議を勝利させた。1914年渡米,ロシア革命後1921年モスクワにはいり,コミンテルン常任委員として活動。同地で死去。著書《日本之労働運動》等。
→関連項目児玉花外セツルメント高野房太郎田添鉄二鉄工組合西川光二郎反戦運動普通選挙期成同盟会平民新聞

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改訂新版 世界大百科事典 「片山潜」の意味・わかりやすい解説

片山潜 (かたやません)
生没年:1859-1933(安政6-昭和8)

日本労働運動の先駆者。岡山の出身。幼名は藪木菅太郎,後に徴兵忌避のために片山家に養子縁組,片山潜と改める。1881年上京して印刷工,塾僕となり,84年渡米,苦学しつつグリンネル大学,イェール大学神学部などに学ぶ。この間,アメリカでの生活,イギリスの社会事情・労働運動の見聞を通して社会運動に確信をもつ。95年帰国,神田にセツルメント〈キングスレー館〉を開き,キリスト教社会主義者として,直接社会に働きかける日常的要求を主張して活動を行う。98年安部磯雄らと社会主義研究会(1900年社会主義協会となる)を組織する。1901年日本最初の社会主義政党,社会民主党を結成するが即日禁止となる。04年第二インターナショナル(アムステルダム大会)に日本代表として出席し,交戦国代表ロシアのプレハーノフとともに反戦アピールを世界に向けて行う。06年日本社会党に参加,幸徳秋水ら直接行動派と対立している議会政策派を支持する。大逆事件に際しては《ユマニテ》などを通して広く世界に,日本政府の弾圧ぶりを紹介し,国際的に反響を引き起こす。14年渡米し,サンフランシスコを中心に活躍,雑誌《平民》(1916-19)を発行する。ロシア革命後,共産主義革命観に転換し,在米日本社会主義者団を組織,アメリカ共産党に参加するなど,アメリカ,メキシコを中心に活動した。21年極東民族大会に参加のためにモスクワに行く。以後,コミンテルン常任執行委員としてソビエトにとどまり,国外にあって日本の共産主義勢力を,また,国際反帝同盟,国際赤色救援会などを指導した。クレムリン病院で死去した。遺骨はクレムリンの赤い壁に葬られた。著書に,《日本之労働運動》(共著,1901),《我社会主義》(1903)や自伝などがある。
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「片山潜」の解説

片山 潜
カタヤマ セン


別名
幼名=藪木 管太郎(ヤブキ スガタロウ) 号=深甫

生年月日
安政6年12月3日(1859年)

出生地
美作国粂郡羽出木村(現・岡山県久米町)

学歴
岡山師範中退 グリンネル大学 エール大学

経歴
庄屋の次男に生まれる。岡山師範中退後上京、印刷工の傍ら勉学に励み、明治14年渡米、グリンネル大学、エール大学で学ぶ。留学中キリスト教に入信。29年帰国後、日本の労働運動、社会主義運動、生協活動の先駆者となり、31年安部磯雄、幸徳秋水らと社会主義研究会を設立、34年には社会民主党を結成。37年アムステルダムの第二インター第6回大会に日本代表として出席、ロシア代表のプレハーノフとの不戦を誓う握手は有名。その後、東京市電スト指導で検挙され、出獄後大正3年渡米、以後国外にあった。ロシア革命後の10年ソ連入りし、11年コミンテルン幹部会員に選ばれ、日本共産党の結成とその後の活動を指導。’27年テーゼ、’32年テーゼの作成に参画。死後クレムリンの赤壁に葬られる。著書に「日本の労働運動」「わが回想」「片山潜著作集」などがある。平成2年岡山県久米南町に記念館が建てられた。

没年月日
昭和8年11月5日

家族
娘=片山 やす(ソ日友好協会副会長)

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20世紀日本人名事典 「片山潜」の解説

片山 潜
カタヤマ セン

明治〜昭和期の社会運動家,国際共産主義運動指導者



生年
安政6年12月3日(1859年)

没年
昭和8(1933)年11月5日

出生地
美作国粂郡羽出木村(現・岡山県久米町)

別名
幼名=藪木 管太郎(ヤブキ スガタロウ),号=深甫

学歴〔年〕
岡山師範中退,グリンネル大学,エール大学

経歴
庄屋の次男に生まれる。岡山師範中退後上京、印刷工の傍ら勉学に励み、明治14年渡米、グリンネル大学、エール大学で学ぶ。留学中キリスト教に入信。29年帰国後、日本の労働運動、社会主義運動、生協活動の先駆者となり、31年安部磯雄、幸徳秋水らと社会主義研究会を設立、34年には社会民主党を結成。37年アムステルダムの第二インター第6回大会に日本代表として出席、ロシア代表のプレハーノフとの不戦を誓う握手は有名。その後、東京市電スト指導で検挙され、出獄後大正3年渡米、以後国外にあった。ロシア革命後の10年ソ連入りし、11年コミンテルン幹部会員に選ばれ、日本共産党の結成とその後の活動を指導。’27年テーゼ、’32年テーゼの作成に参画。死後クレムリンの赤壁に葬られる。著書に「日本の労働運動」「わが回想」「片山潜著作集」などがある。平成2年岡山県久米南町に記念館が建てられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「片山潜」の意味・わかりやすい解説

片山潜
かたやません

[生]安政6(1859).12.3. 岡山
[没]1933.11.5. モスクワ
日本における労働運動の先駆者,社会主義者。旧姓藪木。 1884年渡米,苦学してエール大学を卒業した。この間キリスト教に入信し,キリスト教社会主義の影響を受けて労働・社会問題に興味をもった。 95年帰国,ただちに職工義友会に参加。労働組合期成会結成時には幹事として活躍した。 1904年アムステルダムでの第2回国際社会主義者大会 (第2インター) では,G.プレハーノフとともに副議長となり,軍国主義打倒の演説を行なった。 07年『社会新聞』を発刊。議会主義,普通選挙運動を主張し,幸徳秋水らの急進論と対立した。 10年の大逆事件後,11~12年東京市電争議を指導,投獄され,出獄後 14年弾圧を避けて渡米,22年ソ連に渡り,コミンテルンの執行委員となった。以後国際プロレタリア運動に大きな役割を果し,ソ連は国葬によって生前の功に報いた。主著『日本の労働運動』 (1901) ,『我社会主義』 (03) ,『自伝』 (22) 。

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朝日日本歴史人物事典 「片山潜」の解説

片山潜

没年:昭和8.11.5(1933)
生年:安政6.12.3(1859.12.26)
明治から昭和期の社会主義者。岡山県久米郡に生まれる。岡山師範退学後上京して苦学ののち,明治14(1881)年サンフランシスコに渡り1896年まで在米,苦学してグリンネル大学,エール大学を卒業。留学中にキリスト教に入信。帰国後キリスト教社会事業を開始し,社会問題研究会,労働組合期成会などに参加,また明治31(1898)年安部磯雄,幸徳秋水らと社会主義研究会設立,34年には安部,幸徳らと社会民主党を結成するなど,黎明期の労働・社会主義運動を担った。第2インターナショナル6回大会(1904)でのプレハノフとの握手は有名。幸徳と並ぶ明治期社会主義のリーダーであったが,幸徳の直接行動論に対して議会政策論を堅持して対立した。大正3(1914)年に渡米し,以後終生国外にあった。1921年ソ連入りし,1922年コミンテルン幹部会員となり,以後日本国内の運動の実態とは離れたままで,コミンテルンの日本共産党指導に関与し続けた。死後クレムリンの壁に葬られた。<著作>『片山潜著作集』『わが回想』<参考文献>隅谷三喜男『片山潜』,河村望『片山潜』

(有馬学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「片山潜」の解説

片山潜
かたやません

1859.12.3~1933.11.5

明治・大正期の労働運動・社会主義運動の先駆的指導者。美作国生れ。上京して働きながら漢学を学ぶが,1884年(明治17)渡米。苦学してイェール大学神学部などを卒業し,キリスト教社会主義の影響をうける。95年に帰国,東京キングスレイ館の活動を手始めに労働組合期成会・鉄工組合の結成に尽力。社会主義研究会・社会民主党の創立にも参画したが,直接行動派と対立した議会政策派を支持。1914年(大正3)困窮して渡米後,ロシア革命の影響をうけて共産主義者に転じアメリカ共産党員となる。21年ソ連に渡り,モスクワのコミンテルンを通じて革命運動を指導,クレムリンの赤い壁に葬られた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片山潜」の解説

片山潜 かたやま-せん

1859-1933 明治-昭和時代前期の社会主義者。
安政6年12月3日生まれ。明治34年日本最初の社会主義政党,社会民主党の結成に参加。39年社会党に参加,幸徳秋水らと対立。のちソ連におもむき,コミンテルン日本支部としての日本共産党の結成を指導。コミンテルン執行委員会幹部会員。昭和8年11月5日モスクワで死去。75歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。エール大卒。著作に「我社会主義」など。
【格言など】人間には運命というものがあって,これをある点まで支配することができるものだと思う(「自伝」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「片山潜」の解説

片山潜
かたやません

1859〜1933
明治〜昭和初期の労働運動家
美作(岡山県)の生まれ。苦学してアメリカのエール大学を卒業。1896年帰国後,精力的に労働組合を組織。普選運動を主張して幸徳秋水らの無政府主義と対立した。1914年アメリカに亡命。ロシア革命の影響で共産主義者となり,モスクワに入り,コミンテルン常任執行委員として活躍し,モスクワで死んだ。

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367日誕生日大事典 「片山潜」の解説

片山 潜 (かたやま せん)

生年月日:1859年12月3日
明治時代-昭和時代の社会主義者;社会運動家。万国社会党大会日本代表
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の片山潜の言及

【インターナショナル】より

…主力は,ドイツ,フランス,イギリス,オーストリア・ハンガリー,ベルギー,オランダで,亡命者によって代表されたロシア,ポーランドも重要な存在だった。そうしたヨーロッパの約20ヵ国に対し,他の地域からはアメリカ,オーストラリア,アルゼンチンなどごく少数であり,アジアでは日本だけであった(日本は1901年加盟,片山潜が事務局員に選ばれ,第6回大会に出席。第7回大会には加藤時次郎が参加したが,10年の〈大逆事件〉以降,関係は名目的にすぎなくなった)。…

【キングスレー館】より

…日本におけるセツルメント運動の端緒をなした施設。労働運動の組織化の初期において,労働者のための教育文化活動とキリスト教的社会主義の理念に立つ地域福祉事業の発展をめざす拠点として,1897年片山潜によって東京の神田三崎町につくられた。イギリスの労働者教育運動の重要な一翼をなしていたセツルメント運動を,片山がイースト・ロンドンにおいて視察したことがきっかけとなって設立された。…

【社会民主党】より

…宣言書を掲載した《東京横浜毎日新聞》《労働世界》《万朝報》なども発禁となった。発起人は,安部磯雄,片山潜,河上清,木下尚江,幸徳秋水,西川光二郎の6人で,幸徳を除きすべてキリスト者である。結党の背景には,労働組合期成会(1897結成)を中心とした労働組合運動が1900年治安警察法制定により衰退,期成会中心メンバーの一人の片山らが政治運動によって局面を打開しようとしたことがある。…

【セツルメント】より

…アメリカではJ.アダムズが89年にシカゴに建てたハル・ハウスがセツルメント運動をアメリカに広げる端緒を開いたといわれている。日本では,91年にキリスト教宣教師O.アダムズがつくった岡山博愛会,あるいは片山潜が97年に東京神田に設立したキングスレー館などが古い。 セツルメント活動にはいろいろの流れがあるが,その第1は大学セツルメント,あるいは学生セツルメントである。…

【都市問題】より

…内務省地方局《田園都市》(1908)が先のハワード案を早くも紹介しているが,問題意識の中心は,工場職工を花園に住まわせ家を与え,〈心神をなごましめ〉過激な運動にはしらせないよう,というところにあった。 これより前,〈都市問題〉なる語を最初に理論的,組織的に取り上げたのは片山潜であった。彼はアメリカ留学中,前記の社会的福音運動や大学の先輩A.ショーの研究等に接し,そこで論じられたmunicipal problemsを〈都市問題〉として,帰国後明治20年代末からしばらくの間多くの優れた論文を著した。…

【図書館】より

…したがって,いきおい公共図書館活動の立遅れは長く続き,第2次大戦後といえども多くの人々の目が図書館に注がれるようになったのは,高度経済成長期を迎えてからといっても過言ではない。もちろん,1896年の片山潜による《太陽》誌上での嘆き,すなわち図書館の数の少ないこと,有料制,館外貸出しを行わないことに対する批判の声はすでにあった。また,1927年から43年にわたる青年図書館員連盟の活動のような,職場人の自覚による図書館業務についての技術面での研究改善努力などすぐれた活動がなかったわけではない。…

【マルクス】より


[日本との関係]
 マルクスは日本の社会主義運動はもとより,思想界一般に対して強い影響を及ぼしており,その意味において日本と関係の深い思想家である。1903年(明治36)には,幸徳秋水や片山潜によってはやくもマルクスの思想が部分的に紹介され,06年には《共産党宣言》の全訳も出ている。また,07年には山川均によって《資本論》第1巻の紹介が行われている。…

【マルクス主義】より

…しかし,明治初年には,ほとんどもっぱら社会主義を,治安を乱すものという視点で論じていた。 しかし,自由民権運動を経て明治30年代になると,ようやく労働運動も胎動し,1898年には,村井知至,安部磯雄,片山潜,木下尚江,幸徳秋水ら,主としてユニテリアン派のキリスト者による社会主義研究会が結成され,キリスト教社会主義の展開のなかで,マルクスおよびマルクス主義の紹介が行われた。そして,幸徳秋水《廿世紀の怪物帝国主義》(1901),西川光二郎《カール・マルクス》(1902),幸徳秋水《社会主義神髄》,片山潜《我社会主義》(ともに1903)などの著作も刊行された。…

※「片山潜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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