日本労働運動、国際共産主義運動の指導者。安政(あんせい)6年12月3日、美作(みまさか)国粂(くめ)南条郡羽出木(はでき)村(岡山県久米郡久米南(くめなん)町字羽出木)に、庄屋(しょうや)藪本家の二男として生まれ、菅太郎と称す。19歳のとき徴兵免除のため片山家の養子となり、のちに潜と改名。1884年(明治17)渡米し、皿洗いなどしながらポプキンズ・アカデミーはじめ多くの大学で約11年間勉学し、グリンネル大学で文学修士、エール大学で神学士となる。この間にキリスト教徒となるが、貧民問題、労働問題および社会主義に深い関心を寄せる。
日清(にっしん)戦争終結の翌年の1896年帰国、労働問題が世間の注目を浴びるようになった97年、高野房太郎らとともに7月に労働組合期成会を結成、その機関誌『労働世界』の編集長となり、鉄工組合、活版工組合、日鉄矯正会などの労働組合を指導する。1901年(明治34)5月には、わが国最初の社会主義政党社会民主党の創立者の一人となり、日露戦争が始まった04年の夏にはアムステルダムの万国社会党大会に日本代表として出席、ロシアのプレハーノフとともに副議長に選ばれ、不戦の握手を交わして国際的脚光を浴びた。日露戦争後は、直接行動論を主張するようになった幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らに対して、議会政策を堅持し、普通選挙の実現や労働者の団結に力を尽くすが、大逆事件のあとの11~12年の東京市電争議を指導したため重禁錮5か月の刑に処され、出獄後も自由な活動ができず、第一次世界大戦勃発直後の14年9月にアメリカに渡る。
滞米中は、在米日本人社会主義グループの結成に努めると同時に、アメリカの反戦活動家と接触をもって活動し、ロシア革命とその指導者レーニンの『国家と革命』に学んで共産主義者となり、アメリカ共産党、メキシコ共産党の創立に力を尽くしたあとモスクワに赴き、1922年にはコミンテルンの執行委員会幹部会員に選ばれ、日本共産党の設立や綱領作成など日本の共産主義運動を指導した。また、国際反帝同盟はじめ反戦運動の面でも活躍したが、昭和8年11月5日、敗血症のためモスクワで死去。74歳。その遺骨はクララ・ツェトキンなど共産主義運動の最高指導者とともにクレムリンの壁に葬られている。
[岡本 宏]
『片山潜著『自伝』(1954・岩波書店)』▽『『片山潜著作集』全3巻(1959~60・河出書房)』▽『河村望著『片山潜』(1974・汐文社)』▽『隅谷三喜男著『片山潜』(1977・東京大学出版会)』
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日本労働運動の先駆者。岡山の出身。幼名は藪木菅太郎,後に徴兵忌避のために片山家に養子縁組,片山潜と改める。1881年上京して印刷工,塾僕となり,84年渡米,苦学しつつグリンネル大学,イェール大学神学部などに学ぶ。この間,アメリカでの生活,イギリスの社会事情・労働運動の見聞を通して社会運動に確信をもつ。95年帰国,神田にセツルメント〈キングスレー館〉を開き,キリスト教社会主義者として,直接社会に働きかける日常的要求を主張して活動を行う。98年安部磯雄らと社会主義研究会(1900年社会主義協会となる)を組織する。1901年日本最初の社会主義政党,社会民主党を結成するが即日禁止となる。04年第二インターナショナル(アムステルダム大会)に日本代表として出席し,交戦国代表ロシアのプレハーノフとともに反戦アピールを世界に向けて行う。06年日本社会党に参加,幸徳秋水ら直接行動派と対立している議会政策派を支持する。大逆事件に際しては《ユマニテ》などを通して広く世界に,日本政府の弾圧ぶりを紹介し,国際的に反響を引き起こす。14年渡米し,サンフランシスコを中心に活躍,雑誌《平民》(1916-19)を発行する。ロシア革命後,共産主義革命観に転換し,在米日本社会主義者団を組織,アメリカ共産党に参加するなど,アメリカ,メキシコを中心に活動した。21年極東民族大会に参加のためにモスクワに行く。以後,コミンテルン常任執行委員としてソビエトにとどまり,国外にあって日本の共産主義勢力を,また,国際反帝同盟,国際赤色救援会などを指導した。クレムリン病院で死去した。遺骨はクレムリンの赤い壁に葬られた。著書に,《日本之労働運動》(共著,1901),《我社会主義》(1903)や自伝などがある。
執筆者:亀嶋 庸一
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明治〜昭和期の社会運動家,国際共産主義運動指導者
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(有馬学)
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1859.12.3~1933.11.5
明治・大正期の労働運動・社会主義運動の先駆的指導者。美作国生れ。上京して働きながら漢学を学ぶが,1884年(明治17)渡米。苦学してイェール大学神学部などを卒業し,キリスト教社会主義の影響をうける。95年に帰国,東京キングスレイ館の活動を手始めに労働組合期成会・鉄工組合の結成に尽力。社会主義研究会・社会民主党の創立にも参画したが,直接行動派と対立した議会政策派を支持。1914年(大正3)困窮して渡米後,ロシア革命の影響をうけて共産主義者に転じアメリカ共産党員となる。21年ソ連に渡り,モスクワのコミンテルンを通じて革命運動を指導,クレムリンの赤い壁に葬られた。
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…主力は,ドイツ,フランス,イギリス,オーストリア・ハンガリー,ベルギー,オランダで,亡命者によって代表されたロシア,ポーランドも重要な存在だった。そうしたヨーロッパの約20ヵ国に対し,他の地域からはアメリカ,オーストラリア,アルゼンチンなどごく少数であり,アジアでは日本だけであった(日本は1901年加盟,片山潜が事務局員に選ばれ,第6回大会に出席。第7回大会には加藤時次郎が参加したが,10年の〈大逆事件〉以降,関係は名目的にすぎなくなった)。…
…日本におけるセツルメント運動の端緒をなした施設。労働運動の組織化の初期において,労働者のための教育文化活動とキリスト教的社会主義の理念に立つ地域福祉事業の発展をめざす拠点として,1897年片山潜によって東京の神田三崎町につくられた。イギリスの労働者教育運動の重要な一翼をなしていたセツルメント運動を,片山がイースト・ロンドンにおいて視察したことがきっかけとなって設立された。…
…宣言書を掲載した《東京横浜毎日新聞》《労働世界》《万朝報》なども発禁となった。発起人は,安部磯雄,片山潜,河上清,木下尚江,幸徳秋水,西川光二郎の6人で,幸徳を除きすべてキリスト者である。結党の背景には,労働組合期成会(1897結成)を中心とした労働組合運動が1900年治安警察法制定により衰退,期成会中心メンバーの一人の片山らが政治運動によって局面を打開しようとしたことがある。…
…アメリカではJ.アダムズが89年にシカゴに建てたハル・ハウスがセツルメント運動をアメリカに広げる端緒を開いたといわれている。日本では,91年にキリスト教宣教師O.アダムズがつくった岡山博愛会,あるいは片山潜が97年に東京神田に設立したキングスレー館などが古い。 セツルメント活動にはいろいろの流れがあるが,その第1は大学セツルメント,あるいは学生セツルメントである。…
…内務省地方局《田園都市》(1908)が先のハワード案を早くも紹介しているが,問題意識の中心は,工場職工を花園に住まわせ家を与え,〈心神をなごましめ〉過激な運動にはしらせないよう,というところにあった。 これより前,〈都市問題〉なる語を最初に理論的,組織的に取り上げたのは片山潜であった。彼はアメリカ留学中,前記の社会的福音運動や大学の先輩A.ショーの研究等に接し,そこで論じられたmunicipal problemsを〈都市問題〉として,帰国後明治20年代末からしばらくの間多くの優れた論文を著した。…
…したがって,いきおい公共図書館活動の立遅れは長く続き,第2次大戦後といえども多くの人々の目が図書館に注がれるようになったのは,高度経済成長期を迎えてからといっても過言ではない。もちろん,1896年の片山潜による《太陽》誌上での嘆き,すなわち図書館の数の少ないこと,有料制,館外貸出しを行わないことに対する批判の声はすでにあった。また,1927年から43年にわたる青年図書館員連盟の活動のような,職場人の自覚による図書館業務についての技術面での研究改善努力などすぐれた活動がなかったわけではない。…
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[日本との関係]
マルクスは日本の社会主義運動はもとより,思想界一般に対して強い影響を及ぼしており,その意味において日本と関係の深い思想家である。1903年(明治36)には,幸徳秋水や片山潜によってはやくもマルクスの思想が部分的に紹介され,06年には《共産党宣言》の全訳も出ている。また,07年には山川均によって《資本論》第1巻の紹介が行われている。…
…しかし,明治初年には,ほとんどもっぱら社会主義を,治安を乱すものという視点で論じていた。 しかし,自由民権運動を経て明治30年代になると,ようやく労働運動も胎動し,1898年には,村井知至,安部磯雄,片山潜,木下尚江,幸徳秋水ら,主としてユニテリアン派のキリスト者による社会主義研究会が結成され,キリスト教社会主義の展開のなかで,マルクスおよびマルクス主義の紹介が行われた。そして,幸徳秋水《廿世紀の怪物帝国主義》(1901),西川光二郎《カール・マルクス》(1902),幸徳秋水《社会主義神髄》,片山潜《我社会主義》(ともに1903)などの著作も刊行された。…
※「片山潜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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