田口運蔵(読み)タグチ ウンゾウ

20世紀日本人名事典 「田口運蔵」の解説

田口 運蔵
タグチ ウンゾウ

大正・昭和期の社会運動家



生年
明治25(1892)年5月1日

没年
昭和8(1933)年12月26日

出生地
新潟県北蒲原郡紫雲寺村小川(現・紫雲寺町)

旧姓(旧名)
金井

学歴〔年〕
二高中退

経歴
大正3年頃密航者として海外を放浪。7年渡米し、アメリカ社会党に参加。8年在米日本人社会主義者団を結成する。アメリカ共産党に入党し10年コミンテルン大会に日本人代表として参加。引き続きソ連に在住し、12年一時帰国した。また「文芸戦線」の同人としても活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田口運蔵」の意味・わかりやすい解説

田口運蔵
たぐちうんぞう
(1892―1933)

大正・昭和期の社会運動家。明治25年5月1日新潟県新発田(しばた)町で生まれる。第二高等学校中退。1914年(大正3)、外国船の密航者となり海外での放浪生活を始める。18年アメリカに渡り片山潜(せん)と知り合い、ランド・スクールに通い、翌年11月に在米日本人社会主義者団を結成し、アメリカ共産党に入党した。21年4月コミンテルン第3回大会に出席のためモスクワに赴き、大会の議長に選ばれ演説する。23年2月、日ソ国交回復予備交渉のためにヨッフェが来日したとき、その事実上の秘書として帰国し、熱海(あたみ)における後藤‐ヨッフェ会談通訳として活躍。『改造』『文芸戦線』などで執筆活動を続けたが、昭和8年10月26日死去した。著書に『赤旗の靡(なび)くところ』(1929)、『赤い広場を横切る』(1930)など。

[山田敬男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田口運蔵」の解説

田口運蔵 たぐち-うんぞう

1892-1933 大正-昭和時代前期の社会運動家。
明治25年5月1日生まれ。二高中退後渡米して片山潜を知り,在米日本人社会主義者団を結成。大正10年モスクワでのコミンテルン第3回大会に日本代表として出席。12年日ソ国交のため来日したヨッフェの通訳をつとめた。昭和8年10月26日死去。42歳。新潟県出身。旧姓は金井。著作に「赤旗の靡くところ」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田口運蔵」の解説

田口 運蔵 (たぐち うんぞう)

生年月日:1892年5月1日
大正時代;昭和時代の社会運動家
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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