吉田乙丸名(読み)よしだおとまるみよう

日本歴史地名大系 「吉田乙丸名」の解説

吉田乙丸名
よしだおとまるみよう

現在の水巻町吉田地区(吉田東・吉田西・吉田南など)がその遺称地とみられている名。ただし現宗像市吉田を遺称地とみる説もあり、確定していない。また北九州市若松わかまつ区にも乙丸の地名が残る。貞応二年(一二二三)九月一三日の関東下知状案(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文五、以下断りのない限り同文書)に「宗像社領筑前国吉田乙丸名地頭職」とみえ、当名はもと宗像氏経の母である王氏女の相伝の私領であったが、承元四年(一二一〇)頃氏経に譲与されて宗像社領となり、建保五年(一二一七)幕府から安堵されたという。ところが貞応元年の一〇月頃、氏経相伝の下人であった宗真が神人と号し、氏経禁忌の隙をうかがって幕府に訴え出ながら出廷しなかったため、翌二年に至って改めて氏経に当地頭職が安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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