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筑前国 ちくぜんのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

筑前国
ちくぜんのくに

現在の福岡県北西部。西海道の一国。上国。もと筑後国とともに筑紫国。大陸との交通の要地であったため早くから文化が開け,日本の弥生文化誕生の地であったともみられる。『魏志倭人伝』にみえる伊都国奴国 (なのくに) もここにあり,「倭奴国王印」は志賀島 (しかのしま) から発見された。外交上の要地であったため,大宰府 (だざいふ) がおかれ,ほかにみられない強力な権限が与えられていた。国府,国分寺ともに現在の太宰府市におかれた。『延喜式』には怡土,志麻,早良 (さわら) ,那珂,席田 (むしろた) ,糟屋,宗像,遠賀,鞍手,嘉麻 (かま) ,穂浪,夜須,下座 (しもつくら) ,上座,御笠の 15郡があり,『和名抄』には郷 105,田1万 8500町が記されている。鎌倉時代には文治2 (1186) 年鎮西奉行がおかれ,天野遠景が,のちに武藤氏が支配した。守護は建久年間 (90~99) 以降武藤 (少弐) 氏が世襲した。文永・弘安の役には外寇防衛の第一線として最も重視され,北条氏一門が鎮西探題として国防および御家人の統制にあたった。室町時代に入り,守護は少弐,一色,今川,渋川氏と変転し,応永末年には大内氏の手に入った。大内氏滅亡後,毛利,大友氏らが領国争いを展開,豊臣秀吉の九州征伐後,小早川隆景の領国となった。関ヶ原の戦い後黒田氏福岡藩主となり幕末にいたった。明治4 (1871) 年7月,藩は県となり,同 11月福岡県と小倉県に併合,1876年福岡県に編入。

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デジタル大辞泉の解説

ちくぜん‐の‐くに【筑前国】

筑前

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百科事典マイペディアの解説

筑前国【ちくぜんのくに】

旧国名。西海道の一国。現在の福岡県北部。もと筑紫(つくし)。7世紀末ころに筑前・筑後2国に分けた。古くから海外と関係が深く,大宰府(だざいふ)が置かれ西日本の中心となった。
→関連項目九州地方福岡[県]

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

ちくぜんのくに【筑前国】

現在の福岡県北西部を占めた旧国名。古くは筑後(ちくご)国(福岡県南部)とともに筑紫(つくし)国を形成。律令(りつりょう)制下で分割され西海道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国(じょうこく)で、京からは遠国(おんごく)とされた。国府と国分寺はともに現在の太宰府(だざいふ)市におかれていた。中国大陸や朝鮮半島への窓口として、西海道諸国を統轄する大宰府がおかれた。鎌倉時代には鎮西探題(ちんぜいたんだい)がおかれ、北条氏一門がこの地を支配、少弐(しょうに)氏が力を得た。室町時代には周防(すおう)(山口県)の大内氏が少弐氏を駆逐し、大内氏滅亡後は毛利氏大友氏が争った。関ヶ原の戦い後は黒田長政(くろだながまさ)が筑前国一国を与えられた。黒田氏は福岡を居城として幕末に至った。1871年(明治4)の廃藩置県により福岡県となった。◇筑後と合わせ筑州(ちくしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちくぜんのくに【筑前国】

旧国名。筑州。現在の福岡県北西部。
【古代】
 西海道に属する上国(《延喜式》)。古くは筑紫(つくし)国と呼ばれたものが,7世紀末の律令制成立とともに筑前・筑後の2国に分割された。当初は筑紫前(つくしのみちのくち)国と呼ばれ,702年(大宝2)の嶋(志麻)郡川辺里戸籍に筑前国の名が初見される。志麻,怡土(いと),早良(さわら),那珂(なか),席田(むしろた),御笠(みかさ),糟屋(かすや),穂浪(ほなみ),嘉麻(かま),夜須(やす),下座(しもつあさくら∥しもつくら),上座,宗像(むなかた),鞍手(くらて),遠賀(おか)(後,おんが)の15郡を管し,国衙,国分寺は御笠郡(太宰府市)に所在した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

筑前国
ちくぜんのくに

福岡県北西部の旧国名。西海(さいかい)道の1国。『延喜式(えんぎしき)』の等級は上国で、遠国に属す。初め筑後国とあわせて筑紫(つくし)国といい、7世紀末の律令(りつりょう)制の成立とともに前後に分割された。分割当初は筑紫前国(つくしのみちのくちのくに)と称したが、のち筑前国となった。怡土(いと)、志麻(しま)、早良(さわら)、那珂(なか)、席田(むしろた)、糟屋(かすや)、宗像(むなかた)、遠賀(おが)、鞍手(くらて)、嘉麻(かま)、穂波(ほなみ)、夜須(やす)、下座(しもつくら)、上座(かみつくら)、御笠(みかさ)の15郡に分かれ、104郷(和名抄(わみょうしょう))が存在した。国府、国分寺は御笠郡(太宰府(だざいふ)市)にあった。古来大陸交通の要衝にあたり、奴(な)国、伊都(いと)国などが成立した。536年(宣化天皇1)那津(なのつ)に宮家(みやけ)が修造され筑紫大宰(つくしのおおみこもち)が置かれたが、白村江(はくそんこう)の敗戦後、内陸に移され大宰府が成立した。荘園(しょうえん)は、怡土郡に怡土荘(法金剛院(ほうこんごういん)領)、那珂郡に博多(はかた)荘(安楽寺領)、鞍手郡に粥田(かゆた)荘(金剛三昧院(こんごうさんまいいん)領)、嘉麻郡に碓井(うすい)荘(観世音寺(かんぜおんじ)領)、夜須郡に秋月(あきづき)荘(箱崎塔院(はこざきとういん)領)などがあった。
 鎌倉幕府が成立すると、天野遠景(とおかげ)が鎮西奉行(ちんぜいぶぎょう)として派遣され、ついで武藤資頼(すけより)が守護として入部した。武藤氏は代々守護職を世襲し、大宰府の現地最高責任者である大宰少弐(しょうに)を兼ねた。永仁(えいにん)年間(1293~99)に鎮西探題が置かれ、北条氏一門がこれに任じたが、1333年(元弘3・正慶2)少弐、大友、島津の諸軍に攻められ滅亡した。建武(けんむ)政権が成立すると少弐貞経(さだつね)が守護に任じられ、ついでその子頼尚(よりひさ)にかわった。1349年(正平4・貞和5)足利直冬(あしかがただふゆ)が九州に下向すると、九州では北朝方、南朝方、直冬方に分かれて混乱したが、筑前では直冬方が優勢であった。1361年(正平16・康安1)征西将軍宮懐良(かねよし)親王を奉じた菊池武光(たけみつ)は大宰府を占領し、南朝方が北部九州を制圧した。しかし九州探題今川了俊(りょうしゅん)が九州に下向すると、北朝方が優勢となり、了俊は自ら筑前の守護となった。室町期になると周防(すおう)の大内氏が進出して少弐氏と争ったが、しだいに大内氏の勢力が強くなり、筑前を領国化するに至った。大内氏の滅亡後は、筑前は豊後(ぶんご)の大友氏の支配下に入った。1586年(天正14)島津氏が侵入して大友氏の拠点を攻撃したが、豊臣(とよとみ)秀吉の出兵によって撤退した。
 1587年(天正15)九州を平定した秀吉は、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に筑前1国および筑後、肥前各2郡を与えた。その子秀秋(ひであき)のとき、その所領は秀吉の直轄領となったが、秀吉の死後ふたたび秀秋に与えられた。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いののち、秀秋は備前に移され、そのあと黒田長政(ながまさ)に怡土郡西半分を除く筑前1国が与えられて福岡藩が成立した。1623年(元和9)長政の二男長興(ながおき)に5万石が分与されて秋月(あきづき)藩が、三男高政に4万石が分与されて東蓮寺(とうれんじ)藩(のち直方(のおがた)藩と改む)が成立した。直方藩は1677年(延宝5)にいったん廃されたが、1688年(元禄1)に再興され、1720年(享保5)廃藩となった。
 近世の筑前は全国でも有数の穀倉地帯であり、筑前米は大坂米市場の建米(たてまい)となることが多かった。商品作物としては菜種(なたね)や櫨(はぜ)が栽培され、櫨蝋(はぜろう)の生産が盛んに行われた。また遠賀(おんが)川流域では18世期後半から石炭の採掘が行われていた。元禄(げんろく)時代(1688~1704)に出た貝原益軒(えきけん)は朱子学者として著名であり、宮崎安貞(やすさだ)は日本で初めての本格的な農書である『農業全書』(1697)を著した。
 1868年(明治1)幕府の倒壊によって怡土郡西半分のうち幕府領は日田県管地となり、71年7月の廃藩置県によって福岡藩、秋月藩はそれぞれ福岡県、秋月県に、怡土郡西半分のうち対馬(つしま)藩領、中津藩領はそれぞれ厳原(いづはら)県、中津県の管理となった。同年9月日田県管地は伊万里(いまり)県管地に改められ、同年11月筑前1国は福岡県に統合された。[柴多一雄]
『『福岡県史』全四巻(1962~65・福岡県) ▽竹内理三編『福岡県の歴史』(1956・文画堂) ▽平野邦雄・飯田久雄著『福岡県の歴史』(1974・山川出版社)』

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