吉田大明神
よしだだいみようじん
木本神社境内にある。安政年間(一八五四―六〇)の村替騒動の解決に尽した吉田庄太夫を祀る。石祠は文久二年(一八六二)六月の建立である。和歌山藩新宮領主水野忠央の知行地は主として奥熊野にあったが、ほかに有田郡・日高郡の五ヵ村を知行していた。これは治政上不便であるとして、この五ヵ村と奥熊野の和歌山本藩領との交換を図り、安政元年一一月まず北山組のうち神山・桃崎・神上・長原(現熊野市)の四ヵ村を新宮領に編入した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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