吉田要作(読み)ヨシダ ヨウサク

20世紀日本人名事典 「吉田要作」の解説

吉田 要作
ヨシダ ヨウサク

江戸時代末期〜大正期の外交官 鹿鳴館館長。



生年
嘉永3年12月11日(1851年)

没年
昭和2(1927)年12月16日

出生地
江戸

旧姓(旧名)
戸塚 鑑太郎

主な受賞名〔年〕
イタリア王冠勲章明治12年〕,赤鷲第四等勲章(ドイツ)〔明治29年〕,レジオン・ド・ヌール勲章オフィシエ章(フランス)〔明治29年〕

経歴
旧東京府士族・狩野伊教の子として江戸に生まれる。横浜仏蘭西語伝習所に学び、慶応3年フランスに留学。明治3年岡山藩の兵学校教官となりフランス語を教える。6年ウィーン万国博覧会事務官として出張、そのまま留学のため欧州に滞在し、この間、外務省書記官としてイタリアに赴任、8年ヴェネチア高等商業学校で日本語を指導。10年帰国し外務省反訳局勤務となる。12年イタリア王冠勲章を受章、同年来日したイタリア皇族の接待役を果たす。13年オランダのハーグ公使館に赴任し、15年帰国。同年ソウル公使館に赴任し、17年帰国。公信局、会計局、総務局勤務を経て、23〜25年鹿鳴館館長となり外国の要人の接待を務める。同年ドイツ公使館へ交際官試補として赴任、29年帰国。同年ドイツから赤鷲第四等勲章、フランスから最高勲章レジョン・ドヌール・オフィシェを受章した。その後も宮内省宮中顧問官を務めるなど、明治・大正・昭和に渡って活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田要作」の解説

吉田要作 よしだ-ようさく

1851*-1927 明治-大正時代の外交官。
嘉永(かえい)3年12月11日生まれ。横浜仏語伝習所にまなび,フランスに留学。明治6年ウィーン万国博覧会事務官となり,のち外務省で活躍する。23年鹿鳴館館長。昭和2年12月16日死去。78歳。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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