日本歴史地名大系 「吉祥院村」の解説
吉祥院村
きつしよういんむら
ほぼ北は
古代、この地域は石原郷(和名抄)に属し、
中世の吉祥院村に関しては、嘉吉元年(一四四一)の徳政一揆の時、隣接する上鳥羽村などの一揆衆とあわせて二、三千人が東寺に陣取ったことが知られている(東寺執行日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ほぼ北は
古代、この地域は石原郷(和名抄)に属し、
中世の吉祥院村に関しては、嘉吉元年(一四四一)の徳政一揆の時、隣接する上鳥羽村などの一揆衆とあわせて二、三千人が東寺に陣取ったことが知られている(東寺執行日記)。
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