唐橋村(読み)からはしむら

日本歴史地名大系 「唐橋村」の解説

唐橋村
からはしむら

[現在地名]南区唐橋〈赤金あかかね町・芦辺あしべ町・井園いその町・大宮尻おおみやしり町・門脇かどわき町・川久保かわくぼ町・経田けいでん町・西寺さいじ町・高田たかだ町・どうまえ町・西平垣にしひらがき町・花園はなぞの町・平垣ひらがき町・琵琶びわ町・南琵琶みなみびわ町・羅城門らじようもん町〉、下京区梅小路高畑うめこうじたかはた

葛野かどの郡に属す。北は八条通を境に梅小路村(現下京区)、南は紀伊郡吉祥院村・上鳥羽村、東はほぼ千本通を境にして八条村西九条村、西は紀伊郡吉祥院村・西ノ庄村にそれぞれ接する。

村域の大部分は、平安京の条坊でいう、左京九条一坊全部、九条二坊一保・二保の地にあたるが、村の南域は紀伊郡条里の佐井佐里・下布施里に含まれ、平安京条坊南限の九条大路が村域内を東西に走っている。

平安京においては、村域内に西寺及び羅城門が置かれた。西寺は正暦元年(九九〇)に焼失し、羅城門も平安末期には廃絶していたものと思われる。ただ、西寺に関しては、その寺領の一部分ないしは境内地が後世にまで田地の小字として残っており、永正三年(一五〇六)一一月六日幕府は荻野光豊勘忍分の「西唐橋西寺田」に対する東寺乗泉房の違乱を停止している(「室町幕府奉行人連署奉書」東寺百合文書)。なお、中世の唐橋に関する領有関係は不詳だが、南北朝期の観応三年(一三五二)九月一一日には、松尾まつお(現西京区)雑掌朝厳の訴えにより、「社領西七条六箇保内八条唐橋等田地拾町」に対する東寺の「植松庄内」と号する押領足利義詮の下知によって停止され、松尾社の知行が安堵されており(東寺百合文書)、唐橋の内の一部が、松尾社の支配下にあったことの一端が判明する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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