日本歴史地名大系 「吉美郷」の解説 吉美郷きびごう 静岡県:湖西市吉美郷現吉美を遺称地とする。寛正二年(一四六一)一二月の大福寺不動堂建立記(大福寺文書)には奉加に「吉美母」が一〇〇文を納めている。吉美郷は西(にし)郷と東(ひがし)郷に分割されていた(応永二一年三月「日運本尊」妙立寺蔵、「門徒古事」)。浜名湖の舟着場があり、万里集九は文明一七年(一四八五)に「黍里」から舟四艘を借りて浜名湖を三方原に渡っているが(梅花無尽蔵)、これは当地のことであろう。戦国期には今川領国のうちの宇津山(うづやま)城の管轄下に組込まれた。 吉美郷きみごう 京都府:丹波国何鹿郡吉美郷「和名抄」にみえるが、高山寺本・刊本とも訓を欠く。「日本地理志料」は「当読云岐味、依吉備国ノ例、其土宜黍也」と推定している。位置について「大日本史」は「今幾見村、在賀美東南」と述べるが、これは栗上(くりかみ)村を「賀美」にあてたことによるもので、幾見(きみ)村(現綾部市)は近世の栗村(くりむら)郷東方にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by