吉身庄(読み)よしみのしよう

日本歴史地名大系 「吉身庄」の解説

吉身庄
よしみのしよう

野洲やす川左岸、現吉身一―七丁目・吉身町一帯に比定され、吉見庄とも記す。安貞二年(一二二八)の七条院領目録(東寺百合文書)によると、七条院から後鳥羽院寵姫修明門院に譲られた所領のうちに近江国「吉身庄」とみえる。正和三年(一三一四)七月三日に旧七条院領一七ヵ所が後宇多院から四辻宮善統親王に返付された際、筑前国植木うえき(現福岡県直方市)の替地として当庄は親王領となった(「東宮尊治親王令旨」・同年六月二四日「吉田定房書状案」同文書)。このとき山城国上桂かみかつら(現京都市西京区)の替地として同国桂東かつらひがし庄北方(現同上)が親王領となり、元亨三年(一三二三)九月三〇日に桂東庄北方の替地として当庄が善統親王に与えられたが(「後醍醐天皇綸旨」白河本東寺文書)、嘉暦三年(一三二八)八月一三日の妙法院宮令旨案(同文書)には「上桂庄替吉身庄」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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